寂しいという割に、人に合わせて好かれようという気が全くないので、よせばいい不要な干渉をし、逆に人を遠ざけてしまっている。わざと相手が指摘されたくない部分を突いて攻撃したり、不快にさせるような正論をぶつけるなど、相手に嫌悪感を抱かせてばかり。思っていても言わなければいいし、相手に伝わらなければ構わないのに、小学生みたいに正面から体当たりをしてしまうのをやめられない。そのくせ、周囲から人が離れてしまったことに対し、人一倍敏感になっているので救いがない。こういう感情のケリは10代のうちにつけておくべきだったんだと猛省中。深手を負うことで、自身の内面とうまく向き合い、折り合いをつけるしかないんだろうな。でも、それは一朝一夕で出来るようなことじゃないので、長い闘病生活を覚悟しなければならない

私には精神的に不安定で揺らぎがあることや、感情の起伏が激しくて言動に一貫性がないことをひっくるめて躁鬱だから≠ナ済ませようとする悪癖がある。自分の内にある衝動性が発露した際に、大口を叩いた割には数時間単位で考えがコロコロ変化し、最初の発言をすぐに撤回して収拾がつかなくなることしかない。結末が分かっていてもなお、毎回大見得を切ってしまう不器用な自分。盛り上がっているところ申し訳ないけど、そこはまだ見せ場じゃないんだよ
何かの話の末、字のことについて先生はこんなことを言われた。〈字というものは早く書いては駄目ですね。できるだけゆっくり書いて、それで早く書いたように勢いよく見えなければ、ほんとうの味のある字はできないものです。画でも同じことで、画の線描きなんか、ゆっくりゆっくり遅筆して、出来あがったらいかにも早く、勢いよく画いたようにみえなければ、深味と厚味のある線は出ませんよ〉

吉田五十八が小林古径から「筆と速度と勢い」に関して教えられ、感銘を受けたエピソード
『なにはづ』所収、1968年7月号
建築家は家を造る人。素人はそれに住まう人である以上、その欠点は玄人以上に知っているはずである。建築家が何程陳弁これ努めても、住まう人が住みにくいという以上、全く弁解の余地はないのである。建築家は理屈で家を造るが、住まう人は理屈抜きでこれに住まう。所詮理論は現実の敵ではない。ここに建築家の弱点がある。

吉田五十八
私は、和風住宅が〈和装の七紐〉から、早くワンピースの明朗さにならなければいけないと考えている

吉田五十八「和装の七紐」『新装』所収、1935年10月

靴はREGALで買うと決めているが、それは実家の近くに店舗があるという単純な理由でしかない。近くに実店舗がない今、どこで買うのがよいのか決めあぐねているうちに、靴の方がへたってきた。よく歩く上に丁寧に扱わないので、すぐに靴が傷んで長持ちしない。それはそうと、そろそろスーツも新調したいし、オフィスカジュアルのセットアップも揃えたいし…とやりたいことはたくさんある

一面桜の花弁で埋め尽くされているのは圧巻だったけど、「綺麗だね」と言った5秒後には容赦なくそれらを踏み躙っていた。今年の桜は例年より開花が遅く、咲くまであんなに待ち遠しかったというのに、いつの間にか満開になって、そして雨とともに流れていってしまった。週末は春の陽気に包まれて過ごしやすかったのに、翌週にはまた凍えるような寒さで震える有様。桜が咲いたら春がやってくると思っていたが、それは嘘だった

どこからともなく北風が吹いて、その瞬間だけは花吹雪が舞って素直に美しいと感じれたけど、桜の絨毯になった地面に視線を向けると、折り重なるように敷き詰められた花弁の存在があまりに儚くて泣きそうになった

投稿するタイミングはいくらでもあったはずだが、今はその時じゃない≠ニもったいぶっているうちに、新年度がとっくに開幕していた。それどころか、前倒しになった高田城址公園の観桜会が、会期延長になったものすら終わってしまった。花の盛りは短いというのに、3週間もお祭り騒ぎが続くレアな年だったというのに、ボーっとしているうちに花吹雪とともに時間も散った。いい加減に前に進もうと歩き始めたとき、公園内は全て葉桜になっていた

孤独に対する一抹の不安を覚え、好きかも分からないまま流されるように付き合い始めたが、一人になりたくない恐怖から他者に対する依存を深めた。このままでは、誰かと縁があったとしても、依存から破滅行為へと発展して台無しになるだけだ。共依存になるのも難しく、相手が自分が求めている域に達しない。同じことを繰り返しても全く反省しないので、しばらく一人でいようと思う