備忘録を綴る

澪や氷結など、どこから仕入れてきたのか、お酒の空き瓶類が散乱していて、わざわざ購入したものを高田城址公園まで持ち込み、公園の自販機の前に散らしている人たちがいるんだ…と思いを巡らせるなどしていた。コロナ禍など関係なく、周囲に呑めや騒げや乱痴気騒ぎできる場所がないので、こんなところで暴れているのだろう。ちょっと可哀想で同情してしまう
その美しい街の住民と多くの観光客が一瞬で蒸発し、大気のなかに放射性物質とともに拡散してゆく。ヨーロッパにキノコ雲が立ち上り、ヒロシマ・ナガサキ以後の世界は終わりを告げた
柴田聡子「結婚しました」の歌詞、特に下記の部分がお気に入りで繰り返し聴いている

やっぱハワイより船に乗ろうよ 麦わらの影の網目
なんにも変わらないね こっちだけが休みで悪いね

(中略)

つくりもののまつげからこぼれ落ちる涙のうしろを
マツダの軽で追いかける泥まみれの赤い靴

(中略)

芍薬でしょうか薔薇でしょうか あの日の花火を例えるなら
今好きなことどれくらい 好きでいられるかなんて話

(中略)
梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い。
大抵は一度登ればそれで安心してしまう。
そこで、腰を据えてしまう者が多い。
登り得る勇気を持つ者よりも、更に降り得る勇気を持つ者は、真に強い力の把持者である。

「速水御舟語録」『美術評論』4巻3号所収、1935年4月

財布をなくした。カバンのなかをひっくり返したり、アウターのポケットも確認したが見つからなかった。足の踏み場を失ったゴミ屋敷を捜索するも、あまりの部屋の汚さに20分もすると飽きてしまった。様々なカードと現金が詰まった長財布の行方が分からなくなり、最初は酷く狼狽えた。そのうち諦念の感情に支配され、全てがどうでもよくなった。幸いにも、我が家にはまだコメと飲料水が確保されている状態だったのだ。何もなければなり振り構っていられなかっただろう。しかし、なくても生活できる最低限の資源を発掘してしまったのだ。なんて適当な自分

宮島の鹿は、奈良公園の鹿より穏やかで大人しい気がしている。遠くを見つめる眼差しが優しくて、達観の境地に至る鹿のように思えてならない。奈良公園と比べて、鹿せんべいを奪い合う殺伐とした雰囲気はそこにはなかった。我関せずという感じで、視線が交わらない鳩が写り込んでいる。背を向けて立ち去る鳩と、どっしり構えて動かない鹿。互いに自分の時間を過ごしていて、緩やかな時が流れている。と言うと、思い出を美化しすぎか

(2013.3.11)

職場があまりにも寒いので、ウルトラライトダウンを羽織ったまま仕事をしているにもかかわらず、小刻みに震えてしまうこの頃。やはり、ヒートテックの上にヒートテックを重ね着して、さらにウルトラライトダウンを羽織り、仕上げにアウターが最適か。足元の血行が悪いのか、スゥッと下から上に立ち昇る冷えを感じ、健康被害を及ぼしかねないと危惧している。暖房もヒーターも全力で稼働してこれだと、もしかして私の体調不良のせいだったりするんだろうか…時節柄、身震いをするとコロナを疑う自分がいる。こんな感じの状態が続き、午前中は仕事に集中できなかった。8時間寝たのに襲い掛かる睡魔を払い除け、午後からは寒気も和らぎ、小復活したので一安心

(2013.2.28)

写真は梅田スカイビル前
ドイツクリスマスマーケットにて

(2012.12.18)

疲れているから早く寝ようと決意して退勤したはずなのに、気付いたら明け方になっていた

3連休の予定だったが、そんな余裕など何処にもなかった