「生命がある以上は各自の天稟の仕事がある筈だ それに向つて勇往邁進するのみだ。生命を培ふといふ事が万一仕事を枯らすといふ事を意味するなら死んだ方が優しだ。罪の多い生活をつないで行つて自然に死ぬまで待つ位ならぶつーとやるかずどんとやる方がいい。」

— 梶井基次郎「宇賀康宛ての書簡」(大正9年9月30日付)
たとえば、ドン・ウィリアムスという友人がいる。若い頃、アラスカの原野の暮らしに入り、やがてエスキモーの女性と結婚し、今はアンブラーという北極圏の村に家族と共に住んでいる。ドンのまわりを、同じような暮らしに憧れてやってくる、多くの若者が通り過ぎていった。彼らの大半は、ある年数がたてば、その経験に満足するか挫折して、また南へ帰ってゆく。アラスカという土地は、来る者を拒まないかわりに、自然がその代償を求めてゆく。ドンには、彼らのようにもう帰る場所がなかった。この土地で生きてゆくことを決めたのだ。さまざまなしがらみに捕らわれながらも、そこに生きてゆこうとするドンに、僕は何か魅かれていた。

星野道夫『イニュニック[生命]』(新潮社、1993年)
夕されば人まつ虫のなくなへにひとりある身ぞ置き処なき

紀貫之
小泉八雲「日本の第一印象は、香水のごとく捉えどころがなく、移ろいやすい」

「東洋の第一日目」訳/池田雅之
芹沢_介「型染には過剰な技術がない。色は単純に煮つめられている。実は見せかけがなく堅実で、模様は絵画から離れて、型紙の必然から生まれた模様になり切っている。」

『婦人画報』1957年
学者は面倒なものですね。
類品がないと、贋物だという。
あの宗達の屏風だってそうですよ。
ここにある弥生土器も、
私はずいぶん好きなのだが、
息子はいけないといっている。

「芹沢さんの蒐集」(白洲正子著)より 1978年
アリスティード・マイヨール「感情に訴えないものは除去しなければならない。そうすればすべてが豊かで静かになる」
「昭和25年に大観賞が創設され、彫刻部では一人私がこれを受賞した。出品者懇親会の席上、大観賞受賞者の挨拶ということになった。喋ることの苦手な私は、有難うございましたと言って坐ってしまった。そんな簡単では駄目だ。もう少し喋ろうと向側から大声でいった人がある。すると上座の大観先生が静かに手を上げ、あなたは喋らなくともよい。喋りたい人はその辺にいくらでも居るからそれにまかせて、あなたは作品にものを言わせればよい。大観先生の一言で私は救われた。宴もたけなわな頃、大観先生が立ち上がると歩を進め私の前に正座して、お目出度うと言って酌をしてくださったのである。じっと私を見つめる大観先生の慈父のような深い優しさに満ちている。私は感激のあまり手が震え、折角注いでいただいた盃の酒をみな、大観先生の袴の裾にこぼしてしまった。」

「千野茂年譜」(p55)『千野茂彫刻展』(1989年、新潟市美術館)展覧会図録所収
「民俗学的に追求していっても、行き詰まる所は、やはり不思議さだけが残るに違いない。そのようなものを土俗というのだろう。突きつめれば、やはり風土からくる必然性のようなものであり、人間臭のようなものではなかろうか。」(p63)