備忘録を綴る

台湾ビールの紅茶ラガー(アッサム)が新発売だったので、さっそく購入しました。仕事の疲れを癒してくれるサッパリ系の後味で気に入りましたが、期間限定なのが寂しいです
今村紫江は常々「日本画がこんなに固まってしまったんでは仕方ありゃあしない。とにかく破壊するんだ。出来上がってしまったものは、どうしても一度打ち壊さなくちゃ駄目だ。そうすると誰かが又建設するだろう。僕は壊すから君達、建設してくれ給え。」「徳川以降の絵はひどく堕落している。何と言っても建設より破壊が先だ。」「暢気に描け。芸術に理窟はいらない。何事にも拘束されず、自由に、快活に自己の絵を描け」と仲間たちに語っていた。日本画の因習を壊そうとし、主題、構図、彩色など絵画の全ての面で自由な創意による新しい日本画への改革こそ、紫江の生涯をかけた命題であった。
新潟珈琲問屋 Sakura de la noche

新潟珈琲問屋 Sakura de la noche

情緒不安定のまま迎えた連休最終日。前日に15時間も爆睡していたので、眠ることに飽きているだろうと思って楽観視していたが、結局、半日を寝て過ごしてしまった。何か有意義なことがしたいとか、遠出して気分転換したいとまでは言わないが、せっかくの休日を丸々眠り続けて過ごすのはナシだろう。長時間寝て分かったことは、寝ても寝ても寝足りず睡魔に襲われることと、水分不足で気だるいことくらいだった。

最終日くらい家を出なければという焦燥感に駆られてやってきたのは新潟珈琲問屋 Sakura de la nocheさん(新潟県上越市)
15時頃まで何も口にしていなかったため、空腹を満たしてくれるホットサンドに感動した。珈琲は、珈琲物語を注文しました。洗濯を回して干すとか、食器を洗うくらいのことしかしなかった1日に彩りを添えてくれたのは外食でした

新潟産の西洋梨ル・レクチェ≠使ったクリーム入りの季節限定フレーバーもありました
大阪屋(新潟県新潟市)万代太鼓

大阪屋(新潟県新潟市)万代太鼓

隣人は新潟市から越してきたのだろう。転勤族っぽい風貌で、小慣れた感じが醸し出されていた。貰ったのは大阪屋の万代太鼓

万代太鼓は、新潟市に伝わる創作和太鼓の郷土芸能で、主に複式複打法(組太鼓)のスタイルで演奏するそうだ。1968年、第14代新潟商工会議所会頭である和田閑吉の「新潟まつりに新たな和太鼓を取り入れたい」との意向により、石川県片山津太鼓をモデルに万代太鼓飛龍会を結成したことに端を発する

一方の大阪屋は、初代の岡嘉平が彦根藩領であった近江国犬上郡石畑村(現・滋賀県犬上郡豊郷町石畑)に生まれ育ち、大阪に出て菓子修行を行った。これが社名の由来と伝えられているそうだ。その後、越後新潟に移り住み、新潟市中央区横七番町通に菓子舗を構え「浪花堂大阪屋」と号したのが安政五(1858)年のこと。

隣人からお菓子をいただいた

タオルや洗剤を期待していただけに意表をつかれた形になるが、自分では買うことのない銘菓の差し入れに心が躍る午後。包装紙に雪の結晶があしらわれていて可愛い
全裸異常独身女性が住むアパートに、聞き慣れぬチャイム音が鳴り響いた。慌ててベッドから飛び起き、脱ぎ散らかした服を回収して応対。人のカタチは保っていたと信じてやまないが、初対面からルーズな人だと思われただろうか。
私の住んでいるアパートの両隣は同棲カップルに固められていたはずだが、いつの間にか住人はいなくなり、新たな方が入居の挨拶に来られたのだった。我が家の壁はかなり薄く、くしゃみした音が隣家まで響くような有様。それを把握した上でかは分からないが、電話の声が響いていないか心配されていた。特殊な職業に就いている方なのかもしれないが、無神経に夕方まで眠り続ける私には要らぬ配慮というもの。それとも、本格的に煩わしさを感じるシーズンが到来するのだろうか
結局、明け方まで一睡もできなかった。仕事から帰ってきたときは、無邪気に明日の時刻表なんかを確認して、長岡くらいまで行く気満々だったというのに、起きたらこんな時間だった。まだ、前半戦が終了しただけだと思うだろうが、残された開館時間と通っている電車の本数を天秤にかけたら、諦めざる得なかった。分割した連休は全て快晴のお出掛け日和。遠出しないまでもリフレッシュしたかったが、大半を布団にうずくまって過ごす日々を送ってしまった後悔。せめて掃除くらいしたいと、連休の度に言ってる気がする
5月に決意表明だけして、何も投稿することなく放置されたつなビィ

三日坊主≠ヘ、厳しい修行に耐えられず、還俗してしまった僧から由来がきていると言うが、私は1日も継続することができなかったので、それ以下である。先ほど、何を思ったか、急にやる気がみなぎってきたので、数ヶ月ぶりに一念発起して投稿ページを開いた。気の赴くまま、近頃感じている厭世的な気分について書いていたのだが、一時保存する暇もなく、記事のデータが飛んでしまった。自分にしては珍しい長文で、達成感を味わおうとした矢先の不幸だった。 

コロナ禍以前から暗雲が立ち込めていた私の精神状況は、ワクチン接種やオリンピック開催間際になって立て続けに起きた問題をめぐる騒動が影響し、一気にマイナスの方へ振り切れてしまった。自分の身に起きた出来事ではないが、周囲の口角泡飛ばすような舌戦が繰り広げられている場面を垣間見ただけで、精神的なダメージを負ってしまった。テレビのないワンルームで一人暮らしをし、マスコミの情報など入ってこない隔絶された空間に住んでいてなお、私の心はそれらに揺さぶられた。直接的には関係のないことを勝手に関連させて邪推し、落ち込んだりした。ワクチンもオリンピックも関係なく、それ以前からすでに私の精神状況は最悪で悲鳴をあげていたが、この問題が終日取り上げられるようになってからは、一気に加速してしまったような気がする。精神的な余裕のなさから他者に対する目が厳しくなり、関わることのない人の思考にまで干渉して糾弾するようになってしまった。この現状を乗り越えるためには、双方向によるコミュニケーションを一旦休止することが一番ではないかという気がしている。しかし、寄辺ない独身者には、日常生活で起きたことを話す相手がいないという問題があり、それを解決する手段としてつなビィによる記事の投稿が適切なのではないかと考えた。誰かに何かを伝えたいが、一方的に伝えれば諍いは避けられるのではないかという淡い期待を胸に、外部からの情報はシャットダウンして、内々に籠る夏があってもいい。文章能力が低いので、こうした発信を通じて表現の幅を広げたいという意図もある。大々的に宣言した夏が、三日坊主で終わらないことを祈念して!
 
過去をなぞるだけの忘備録。でも、飽き性だからきっと長くは続かない。そういうものだと割り切って開設しているつなビィです。

 在りし日に思いを馳せながら、同じ話を壊れかけのラジオから繰り返し流し続けるようなイメージでつくりました。自分語りは、月日の経過とともに自身にとって都合のよい内容へ解釈され、曲解された話が流布します。虚飾に塗れていることは否めませんが、常に真実を語る必要はないという意識で更新したいと考えているため、「信じるも信じないも、あなた次第」ということでお願いします。虚実入り混じるなかで、上澄みだけ掬いあげてもいいですし、表面上では形式化しているからと疑念を抱きながら読んでいただいても結構です。こんな在り方もあるという、一側面を示したいだけなので、発言の断片を切り取られて揚げ足を取られることは好みません。

 とにかく支離滅裂で文面的には破綻しているようなことを、深い意図はないけど垂れ流したい。あわよくば共感してもらいたいし、同好の士と繋がりたいという思いの丈をぶつけるためにつくりました。脈絡はなく、その場で浮かんでは消える泡沫のような考えを詰め合わせてみました。理解を得る気はありませんので、ご承知おきください。 それと、他のSNSで漏らした話をここに転載する場合が往々にしてありますが、内容の重複は意図的に行っているものです。同じ内容を別の語り口調で話すこともあれば、補足説明を行う場合もあります。全ては承認欲求と自己顕示欲を満たす手段でしかありません。それから私は、昨春から縁もゆかりもない地で一人暮らしを始め、職場以外で会話をする機会がほとんどありません。そういった経緯から、独り言を垂れ流すという大義名分もあります。今の時代、誰でも気軽に繋がることのできるツールがあって良かったと心の底から感謝しています。逆に誰しもが、自分以外の他者に取って代わられる可能性を孕んでいるわけですが、それはまた別の話です。

 ツイッターのように、タイムラインに放流して他者のページを荒らすことがない安心感から、気兼ねなく自分語りができるのがつなビィの魅力なんですよね。誰に宛てるわけでもないけど、伝えたいし聞いてほしい話があって、海にそっとメッセージボトルの小瓶を流してみる。それを漂流物として遠い地域に住んでいる人が拾い上げるようなイメージで投稿しているページ。気軽さがウリで、一方的に発信をし続けるほうが期待に応えなくて済むし楽なんですよ。レスポンスだってする必要はない。でも来ると嬉しいし、そんな関係でありたい。